こんにちはsenです!
日本を代表する大企業、化粧品や健康食品メーカーのファンケル。
私はカロリミットやコラーゲンドリンクなどファンケルさんの商品には大変お世話になっています!
今回はそのファンケルの創業者である池森賢二さんとはどのような人物なのか調査しました。
出身大学など学歴や、気になる年収は一体・・・?
そしてファンケルを創業した理由なども含めてお伝えします。
池森賢二のwiki経歴プロフィール!出身大学や年齢は?
氏名 | 池森賢二(いけもりけんじ) |
生年月日 | 1937年(現在82歳) |
出身地 | 三重県伊勢市 |
学歴 | 産能短期大学中退 |
役職 | ファンケル会長 |
池森賢二さんは1937年生まれの現在82歳です。
2005年に名誉会長となり経営から一線を退きますが、ファンケルの経営を立て直すために2013年に代表取締役会長執行役員に就任されています。
そして2019年12月31日をもって会長職を退任し、翌年からは名誉相談役になるとのことです。
三重県伊勢市出身で、産能短期大学を中退しています。
その後結婚を機に小田原にある都市ガス会社に就職し、そこではプロパンガスの部署に配属されました。
仕事に情熱を持ち夢中になって取り組んでいた池森賢二さんは仕事ぶりが評価されて同業他社からもスカウトがあったそうです。
しかし、このままでいいのだろうかという考えが頭の中を巡り思い悩み、15年勤めた会社を退職して自分の会社を起こすことを決意します。37歳の時でした。
そうしてはじめたのが雑貨のアイデア商品販売を営む会社です。
はじめからファンケルを創業したわけではなかったんですね!
順調に経営していくかと思いきや、2年で資金を使い果たし、多額の借金を背負い廃業になってしまいました。
なんとその額6千万・・・
一般の人では考えられない借金の額ですよね。
そこからは借金返済の日々になるわけですが、そんな池森賢二さんに新たなチャンスが訪れます。
それはお兄さんが営んでいたクリーニング店の外交の仕事でした。
もともと仕事人間の池森賢二さんはここでも無我夢中に仕事にのめり込み、成果報酬でみごと借金を2年で完済したのです。
6千万もの借金を2年で完済とは本当にすごいです!!
さて、肝心のファンケル創業についてですがどのようなきっかけだったのでしょうか?
池森賢二がファンケルを創業した理由とは?
池森賢二さんがファンケルを創業したきっかけはずばり奥さんとの出来事でした。
当時奥さんは化粧品が大好きでよく使用していたようですが、同時に肌荒れにも悩んでいたそうです。
きれいになるための化粧品なのになぜ肌荒れ?そんな疑問が浮かびます。
実は80年代の化粧品には防腐剤や酸化防止剤など様々な添加物が含まれていたんです。
肌が弱いと添加物からくるアレルギー反応で肌荒れを起こしてしまいます。
私も肌が弱い方なので、化粧品によっては肌荒れを起こしてしまったりするのですが、昔はさらに化粧品公害が流行していたんですね。
当時の化粧品会社では見た目、香り、雰囲気などが重要視され、健康のことは考えられていない商品が多く出回っていたようです。
化粧品で不便、不安な思いをしている人を助けたい
この社会問題をなんとかしようと思い1981年に創業したのがファンケルだったのです。
池森賢二の年収は?
池森賢二さんの年収ですが、公開はされていません。
ファンケルの取締役の報酬は10人の合計で3億8500万円ほどで、1人あたり3850円となります。
会長職だったこともありそこからさらに役員報酬があったのではないかと推測されます。
2019年9月には創業一族が持っている株式の33%をキリンホールディングスに売却しました。その額は1293億円。
自分がいなくなったらファンケルがどうなるか、残る社員や役員のことを考えた結果だと話します。
ちなみに池森賢二さんは経営に復帰してすぐに社員の給料を2万円もあげ、モチベーションを高める作戦に成功されています。
自分よりも社員のことを考える経営者であることがわかりますね!
まとめ
世の中の「不」を解決するために生まれたファンケルの創業者池森賢二さんの経歴プロフィールをまとめました。
その経営哲学や意思に感銘を受けました。
ビジネスの根源は正義感だと話す池森賢二さんですが、退任したあとはスタートアップ企業やひとり親家庭の子どもの支援に取り組んでいくそうです。
どんなときでも社会や他人のことを考えて行動する姿を見習いたいと思いました!