こんにちはsenです!
今回はフィンランド在住の左手のピアニスト舘野泉さんについて調査しました。
以前からピアノ奏者として知られていましたが、メディアでの出演も増えておりその名前を聞いたことがあるという人もいるかもしれません。
舘野泉さんの経歴プロフィールや息子や奥さんなど音楽一家である家族についてもお伝えします!
舘野泉の経歴プロフィール!年齢や出身・学歴は?
名前 | 舘野泉(たてのいずみ) |
生年月日 | 1936年11月10日(現在83歳) |
出身地 | 東京市目黒区自由が丘 |
学歴 | 東京藝術大学音楽学部ピアノ科卒 |
職業 | ピアニスト |
舘野泉さんは1936年生まれの現在83歳。
出身は東京ですが、当時は戦時中のため栃木県小山市に疎開しました。
舘野泉さんがピアノをはじめたのは5歳のとき。
幼少期に感銘を受けた音楽はチゴイネルワイゼン(ヴァイオリンの独奏曲)でした。
本が大好きで読み始めて自分の世界に入り込むと、まわりから声をかけられても聞こえないほどに集中してしまう子だったようです。
目黒区立緑ヶ丘小学校から中学は慶應義塾普通部に進み、慶應義塾高等学校を卒業したあとは東京藝術大学音楽学部ピアノ科に進学しました。
高校二年のときにはじめて中古のグランドピアノを買ってもらったようで、学校の昼休みに自宅に帰ってピアノをさわりに行き、楽譜を読み込むことに熱中したそうです。
舘野泉さんが進学した東京藝術大学といえば藝術大学の中でも超難関。
実は私の母も音楽大学を卒業しているのですが、東京藝大の音楽学部は一般の人が合格するにはだいぶ難しいんだと話していたことがあります。
入学する時にレベルの高い技術が求められるんです。
そしてその大学を首席で卒業。すごいですね!
60年に芸大を卒業すると、第一生命ホールでデビューリサイタルを行い大成功をおさめました。そこから様々な音楽活動を通し、東京交響楽団、N響、インペリアル・フィル、ABC響などと共演をされました。
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そして1964年からフィンランドのヘルシンキに住み、東京と行き来しながら音楽活動を続けていました。
なぜフィンランドだったのでしょうか。
本人は以下のように話しています。
キャリアを積むならロンドンやニューヨーク、勉強するならウィーンやパリなどと言われたが、どちらにも興味はなかった。権威や組織、伝統だのお墨つき嫌いはいまも変わらない。文学を通して憧れていた北欧に住むこと、西でも東でもなく、重い伝統や権威などなくて、日本にも中欧にも適当な距離をおいて孤独でいられるフィンランドがよいと思った。スエーデンやデンマークは西欧に近すぎるとも思った。60年代のフィンランドは本当に地の果てみたいに寂しく澄んでいて素敵だった。
引用:舘野泉公式HPより
文学を通して北欧に住むことに憧れていたんですね。
そして権威や組織、伝統だのお墨つき嫌いというところはなんだか共感しました。
芸術の道に進むと、どうしても組織や伝統などしがらみがあり縛られるような感覚があるんですよね。
それに対して北欧の地はそうしたイメージが少ない。
適度な距離を置いて自分らしい音楽ができると考えたのではないでしょうか。
フィンランドに行ったことがありますが、少し日本と似た雰囲気もあるなと私は思うんです。
あの日本画家の東山魁夷も北欧に魅せられてイメージした絵を描いていますが、この文章を読んで北欧にはなんとなく日本人の心をひきつける何かがあるのかなと感じました。
舘野泉は左手でピアノを弾く音楽家
2002年1月、舘野泉さんはフィンランドでのリサイタル中に倒れてしまいます。
原因は脳溢血でした。その後遺症で右半身に麻痺が残ってしまったのです。
当然右手もおもうように動かせず、リハビリを続けても不自由のままでした。
しかし翌年のオウルンサロ音楽祭で復帰を果たしました。
左手でピアノ作品を演奏したのです。
さらに日本でも左手のピアノ作品によるリサイタルを開き、精力的に活動されています。
表現者はどんな状況になっても表現することを辞めないんだなあと思いました。
こうして今あるものに目を向けてできる表現をしていく姿は本当に尊敬しますね。
舘野泉の息子や奥さんなど家族について
舘野泉さんは音楽一家ということですが、みんなそれぞれ専門分野をもって活動されています。
- 息子さんはヴァイオリニストのヤンネ舘野さん
- 奥さんはソプラノ歌手のマリア・ホロパイネンさん
- 父親はチェリスト
- 母親はピアニスト
- 弟はチェリスト
- 妹はヴァイオリニスト
- 妹の長女は音楽学者
- 末妹はピアニスト
これだけ親族に音楽家がいるってすごいですよね!
しかも、母方の家系は明治維新まで7代にわたって仙台藩の能楽を司っていたというから驚きです。
ちなみに舘野泉さんが病に倒れた時に、もう一度ピアノを弾くように促したのは息子のヤンネ舘野さんだといいます。
なかなか思うようにリハビリがすすまず右手が使えないなか、ヤンネ舘野さんは左手のみで引ける楽譜を渡しました。
はじめは左手だけの演奏なんてと思っていた舘野泉さんでしたが、息子さんからの勧めに片手でも音楽はできると復帰の意欲をみせたんですね。
家族というよりかは、音楽家同士の絆を感じます。
そして病と向き合って前向きに自らの新しい表現を模索していった舘野泉さん、本当に素晴らしいなと思いました。
まとめ
左手のピアニストとして83歳の現在も活躍されている舘野泉さんについてまとめました。
芸術家のいいところは自分の命が尽きる直前まで芸術家でいられることだなと思います。
表現方法は様々で、たとえ身体の一部が思うように使えなくなってしまっても、とらえ方次第で新しいものを生み出せるのです。
舘野泉さんのこれからのご活躍を楽しみにしています!